吉田 惠
←creator/name : - 吉田 惠(au)「文語が行われているとき口語文はいかにしておこるか。とくにその社會的條件について:諸子の場合」 中國語學研究會會報 14, pp.6-9, 1953年5月
- 吉田 惠(au)「「奈何」の語源」 東方學 8, pp.118-131, 1954年6月
- 相浦 杲(au) //等 吉田 惠(au)「王瑤「中國新文學史稿」索引」 新中國文學 1, pp.23-30, 1955年7月
- 吉田 惠(au)「「故事新編」の會讀をめぐつて」 中國研究 1956-9, pp.14-17, 1956年9月
- 吉田 惠(au)「嫦娥はなぜ月へにげたか:「奔月」にえがかれた魯迅の自畫像」 人文學 26, pp.63-82, 1956年11月
- 吉田 惠(au)「春秋戰國時代の哲學書における方言―「論語」と「墨子」の場合―」 人文學 38, pp.118-135, 1958年11月
- 吉田 惠(au)「魯迅と中國文藝の傳統-「故事新編」についての手控え-」 人文學 44, pp.14-31, 1959年10月
- 吉田 惠(au)「「物」という單語についての覺え書き」 人文學 54, pp.120-129, 1961年7月
- 吉田 惠(au)「「孟子」のなかの「物」という名詞」 人文學 58, pp.80─92, 1962年3月
- 店村 新次譯 吉田 惠譯「道家─マスペロ著「古代中國」から─」 人文學 89, pp.119~137, 1966年9月
- 吉田 惠(au)「「徒然草」と「老子」および「莊子」の思想」 人文科學 1-1, pp.162~183, 1966年10月
- 吉田 惠(au)「「書經」の成立ちについて─墨子と孟子の演じた役割り─」 人文學 101, pp.103-120, 1968年3月
- 吉田 惠(au)「訓詁一篇-「國風」の「伐檀」について(上)」 人文學 110, pp.43~55, 1969年3月
- 吉田 惠(au)「「素餐」「素食」「素飧」考─「國風」の「伐檀」について」 同志社外國文學研究 1, pp.100~116, 1971年1月
- 吉田 惠(au)「「關關睢鳩」のこと」, 1974年10月 , pp.127~141
- 吉田 惠譯「「國風」十又一篇MEMO-中國周王朝の民謠に見る性の隱喻ほか」 同志社外國文學研究 14, pp.84~110, 1976年3月
- 吉田 惠(au)「『詩經』にみえる「無良」について」, 1979年12月 , pp.57~78
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